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大阪高等裁判所 昭和30年(う)725号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人両名を各懲役六月に処する。

但し被告人吉本惣太郎に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。原審及び当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は記録に編綴してある神戸地方検察庁検事正代理次席検事井嶋磐根提出の控訴趣意書並びに被告人両名の弁護人中垣清春提出の控訴趣意書に各記載するとおりであるから、いずれもこれを引用する。

検事の論旨について、

原判決の摘示するところによると「昭和二十九年七月頃神戸市兵庫区西橘通二丁目二の九番地特殊飲食店『しののめ』事深水キセ方で接客婦として働いていた春美事藤本まさ子が七万円位の前借金を残して逃走したことにより、深水等においては右は春美の馴染客である吉谷進との通謀によるものと同人に疑をかけ、偶々同年十月十三日午後十時頃吉谷が『しののめ』に来たので深水は被告人両名に同人との接渉をまかし、ここに被告人両名は共謀の上右吉谷が春美の逃走の当日その情を知つて、春美の衣類を外部へ持出してやつていること等より同人において春美の逃走につき共謀しているものとみなし、これによる損害の賠償として、春美の前借金七万円位の支払を請求するにあたり、被告人小原良一において右吉谷に対し原判示の如き脅迫を加えた」というのであつて、脅迫罪を認めるに止めたのであるが、原判決挙示の証拠を綜合すれば更に進んで右吉谷は前示脅迫に因り畏怖しておるに際し、被告人両名から春美に代つて深水キセに前借金七万円を支払い、且つこれが担保として二輪自動車一台を提供すべき旨を要求せられ、もしこれに応じなければ自己の身体等にどのような危害が及ぶかも知れないとの危惧の念を抱いた結果、その旨契約をなした(なおその趣旨の契約書面をも被告人等に交付した)事実を認めることができるのである。そこで検事は原判決が右の如く深水キセにおいて吉谷進に対し損害賠償を請求する権利があるものとなし、被告人等がこの権利を行使したように認定して強喝罪の成立を認めなかつたのは誤で、深水から吉谷に対し請求すべき権利は何等存在せず、権利実行の場合でないから起訴にかかる恐喝の事実を認むべきである旨主張するからこの点につき審究するに、なるほど原判決の前示事実摘示は被告人等が深水の有する七万円位の損害賠償請求権の行使に際し、吉谷を脅迫したと認定したように解せられるのであるが、吉谷はただ従来春美の馴染客で、同女から逃走を打明けられ衣類の持出方を依頼せられてこれに応じ、その衣類二点を外部へ持出してやつただけであることが証拠上明かであり、このような吉谷の所為は春美の前借金に関する債権者たる抱主即ち深水キセの債権を侵害したものとみることはできない。なぜなら抱主たる深水キセと接客婦春美との間における前借金授受の関係は春美が深水方に接客婦として住込み、売淫した稼高を以て逐次その前借金を返済するという特約の下に貸借がなされたことが記録上窺えるのであつて、かかる稼働契約は公序良俗に反し無効というべく、之と不可分関係にあつて表裏一体をなす右前借金貸借契約も亦全部無効と解すべきが故に(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二二号、同三〇年一〇月七日第二小法廷判決参照)、深水キセが春美に対し有効な前借金債権を保有するものということはできないのであるから、従つてその債権侵害による原判決認定の如き損害賠償請求権も生ずる筈がない訳である。しかのみならず、原審証人吉谷進、藤本まさ子の原審公判廷における各証言、吉谷進の検事に対する供述調書によれば、吉谷が前示のような所為に出るに際し深水の前借金返済請求権を侵害する故意過失があつたものとは到底これを肯認し得ないからである。してみれば被告人等は何等行使すべき権利がないのに原判示の如く吉谷を脅迫し、その結果同人を畏怖せしめて深水に財産上不法の利益を得せしめたものであることが証拠に照し明白であり、恐喝罪の犯責を負わなければならないことになる。ところで原判決は、又恐喝罪の成立を否定する説示中において「被告人等において吉谷を追及し、同人より損害の賠償を請求することは当然のことと信じていたものとも推測し得べきものがあるので、結局被告人等に恐喝の犯意の点につき証明が十分でなく、よつて同罪の成立は認められない」旨を説明している、これに対し検事はかかる推測をなすべき何等の根拠もないと争うから更にこの点を検討してみるに、被告人等に実行すべき損害賠償請求権の存在しなかつたことは既に説明したとおりであるところ、これを原判決のいうように被告人等が吉谷から損害の賠償を請求し得るものと当然信じていたとは記録上認め難い、即ち記録中の深水キセの検事に対する供述調書に徴すれば、同人は被告人等に対し春美の所在をつきとめるべく依頼しただけであり、春美の前借金に代る賠償の請求等については何等の依頼もなかつたことが明かで、このことや記録の示す被告人等と吉谷との接渉経過、当時の状況等に照すと被告人等において右賠償請求権が存在するものと意識し、当然これが権利を行使してよいと確信していたものとは認められないのである。そして原審で取調べた証拠を検討するならば本件公訴事実において指摘する恐喝の犯意のあつたことは十分これを証明し得るから原判決が被告人等に恐喝の犯意を欠くと判定したのは誤といわざるを得ない。以上のとおりであつて、被告人等につき恐喝罪の成立することは疑なく、検事の爾余の論点に対し判断をなすまでもなく、単に脅迫罪を認めたに止り起訴にかかる恐喝罪の成立を認めなかつた原判決には影響を及ぼすべき事実誤認があるものというべく破棄を免れず論旨は理由がある。

弁護人中垣清春の論旨中原判決における被告人両名の共謀事実の認定を非難する点について、

しかし原判決挙示の証拠によれば被告人両名が犯意を共通し、原判示脅迫行為に出たことは勿論吉本進が右脅迫行為に因り畏怖しておるに乗じ、既に説示した如く同人をして深水キセに金七万円を支払い、且つこれが担保として二輪自動車一台を提供すべき旨を契約せしめたことを肯認できるのであつて、所論に鑑み原審及び当審で取調べた各証拠その他記録全般を精査検討してみても被告人両名に所論共謀がなかつたものとはなし得ないからこの点の論旨は理由がない。

同論旨中右共謀に関する以外の主張について、

弁護人は原判決の刑の量定を云為するけれども、本件は後記の如く当裁判所において原判決を破棄自判して量刑する場合であるから、量刑につきここで特に説明するを必要としない。

次に弁護人は論旨中余論として述べる項において、

(一)  被告人等の所為が権利の実行である旨主張するがその理由のないことは従来の説明に照し了解すべきである。

(二)  又本件における金七万円の支払約束と自動車の担保提供契約は財産上不法の利益に該当しない旨の所論は弁護人独自の見解たるに過ぎず、たとえ所論の如く自動車の譲渡又は担保提供には法律上一定の形式要件があり、これを欠くものは無効か、又は第三者に対抗できないとしても刑法第二百四十九条第二項にいわゆる財産上不法の利益たり得るものと解するを相当とする。記録に徴するも所論の支払約束、担保提供契約が右財産上不法の利益たることを否定するに足りる証跡は見当らない。

(三)  更に又弁護人は本件被害者吉谷は畏怖を生じておらず、脅迫と利益提供との間に因果の関係がない旨主張するが原審で取調べた証拠によると、被告人両名の脅喝行為に因り吉谷は畏怖を生じ、その結果公訴事実に記述する契約をなし、利益を与えるに至りその間因果関係のあることはまことに明白であつて、所論を検討し記録を調査してみても右認定を動かすことはできないのである。

従つて本論旨も亦すべて理由がない。

よつて叙上の如く弁護人の論旨はいずれも理由がないが、検事の論旨につきその理由があるから刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に従い原判決を破棄し、同法第四百条但書により更に次のように判決する。

罪となるべき事実、

被告人吉本惣太郎は昭和二十九年九月頃から神戸市兵庫区西橘通二丁目二の九番地特殊飲食店『しののめ』事深水キセ方の帖場係として雇われていたもの、被告人小原良一は右吉本と知合の間柄にあつたものであるが、同年七月頃同店抱え接客婦たる春美事藤本まさ子が金七万円位の前借金を残して逃走したことがあり、右深水キセ等においては右春美の逃走は同女の馴染客である吉谷進(当時二十六年)の手引によるものとの疑をかけていたところ、偶々同年十月十三日午後十時頃右吉谷進が『しののめ』に来たので、右深水キセから被告人両名に吉谷と接渉して春美の所在をつきとめるべく依頼するや、ここに両名は共謀の上右吉谷進を脅喝し延いて同人から深水キセのため金銭を喝取しようと企て前記『しののめ』において被告人小原良一が右吉谷に対し「春美の居所を知つとるやろ、わしはどんな人間か三宮の某に聞いたら判る、知らん知らんでは済まさん。お前の手足の一本や二本は折つてやる、腹でも切つてやろうか」等と申向けて同人を脅喝し、同人が右脅喝に因り畏怖したのに乗じ、被告人両名は同人に対し春美に代つて深水キセに前借金七万円を支払い、且つこれが担保として二輪自動車一台を提供すべき旨を要求し、吉谷においてその要求に応じなければ自己の身体等にどのような危害が及ぶかも知れないとの危惧の念を抱かしめた結果同人をして右の旨の契約をなすに至らしめ、以て右深水キセに財産上不法の利益を得せしめたものである。

≪証拠の標目 省略≫

なお被告人小原良一は昭和二十七年四月十六日(同年五月一日確定)神戸地方裁判所において横領罪により懲役六月(昭和二七年政令第一一八号減刑令によりその刑を懲役四月十五日に減軽)に、同二十八年六月六日(同年七月二十三日確定)大阪地方裁判所において詐欺罪により懲役一年(未決勾留日数中十五日通算)に各処せられ、当時いずれも右各刑の執行を受け終つたものであることが同被告人の前科調書及び同被告人の検事に対する第一回供述調書に照し明白である。

法令の適用

被告人両名の判示所為は各刑法第二百四十九条第二項、第一項、第六十条に該当するところ、被告人小原良一については前示前科があるから同法第五十九条、第五十六条、第五十七条により累犯加重をなし、いずれもその所定刑期範囲内で各被告人を懲役六月に処すべく、被告人吉本惣太郎については前科なく、又本件犯罪たるやその被害者吉谷進において逃走せる春美の衣類を外部へ持出したことに由来し、被害者側にも多分の落度のあつたことは否定し難いところであるから、犯罪動機において斟酌すべき情があるものとも認められる点等記録により窺える諸般の情状に照すときは同被告人に対しては、相当期間刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項に従い三年間右刑の執行を猶予すべきものとし、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条に則り被告人両名の連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 吉田正雄 判事 山崎寅之助 大西和夫)

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